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4年前
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TAZO
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4年前の最初のときキラのことを思い出してみた。
今からつぶやくのは、私の反省文になると思う。登場人物が多いので、実名で語るのをお許し願いたい。それから、これは私の勝手な話なので登場人物がそれぞれあの時そう思っていたかどうかは、本人に聞いて下さい。
あの時、私は西条YEGの会長だった。そして、ときキラの実行委員長だった。(今思えばまち協の会長さんの方が良かったと思う。)
公俊さんはYEG内では担当委員会の委員長でときキラ実行委員会では、事務局長だった。
盛実君はYEGの運営専務だった。実行委員会には出席せーよと言いつつ、どー考えても、始めての事業でかかりっきりになると思っていたので、YEGのほうへ軸足をおかせ、8月中旬から12月末までのYEG事業の細部をまかせた。
現在の副会長は4人が全員、YEG内では、委員長だった(塩崎君は三役で、特別委員会の委員長)。従って実行委員会ではそれぞれの担当の部会の責任者だった。
三好君はYEGでは担当委員会の副委員長で、もともとときキラを言い出した張本人だったので、実行委員会ができる前から、水面下で、まち協や西条市との最初の交渉役をしてもらっていた。
「自社の発展は地域経済の活性化と共にあり」といい続けた。「中心商店街が今大変な危機に立っている・・・・」だからときキラをするんだと、忠告をしてくれる先輩達に言い切った。あの時、もっと素直に耳を傾けて、忠告を受けとめるべきだったと、今になって思う。
公俊さんだけが私の言葉に「そりゃそーだ」と思ってくれていたと思う。
塩崎君や山田君は、地域経済の活性化になるやかおもわんけんど、おもしろそーなけんするよと言った。藤田君も僕も、と言った。
三好君は、ただただ、ときキラさえできれば満足ですという感じだった。明比君はクールだった。でも、みんな一生懸命やってくれた。
かわいそうなのは盛実君だった。YEGのこと、実にまじめに、几帳面に整理していてくれた、それを見ればすぐに頭を切り換え間違いのないYEG事業をすることができるほどだった。
実行委員長として、絶対にみんなに言えないときキラの矛盾点や問題点を、本人は別に聞きたくはなかったんだろうとおもうが、盛実君相手にしゃべったような気がする。あれもこれもいっぱい口止めをした。
結局、私の中のときキラに対する二つの思いが、片方ずつ、公俊さんと盛実君に別々に伝わってしまった。
公俊さんに言わせれば、今更やめとはそりゃ裏切りじゃと思うに違いない。
盛実君に言わせれば、あの時おかしいゆーたよね、となる。
盛実君、一生懸命やった人のことをもう少し思いやれ
公俊さん、いろいろあるけん、もーやめよ
三好君、ときキラはやっぱり最初に三好君が思っていた姿が、いちばんよかったんよ。
でも、お金がなかった。